tanakayasunori’s diary

日々の気づきを深掘っています

延命措置的な労働力消費

2年前にドラム式洗濯機を上位価格帯のものに買い替えた。そして、上位の価格帯に付いているほとんどの機能は使わないことがわかった。というか、洗濯、すすぎ、脱水を自動でするボタンしか押していないので、その他の98%ぐらいの機能は使っていない。

 

感覚的にだけど95%の人は基本機能だけで満足できるのではないかと思う。基本機能というのは洗濯物の汚れをとることだ。乾燥機能も基本機能の入れても良いかもしれない。残り5%の少数派の人が60度の温度で洗ったり、UV除菌機能のような付加価値の部分を使うのだと思う。

 

家電メーカーは毎年マーケティングのために、少数派が使う機能を開発しているように思う。新しい付加価値をつけないと高く売れないからだ。

 

基本機能の性能はすでに十分高いのでこれ以上上げるのは難しい。何か新しい付加価値を作らないと売り上げが上がらない。いや、国内需要は飽和しているので上げるのではなく維持できない。売り買いするシステムが今の時代にフィットしていないのだと思う。

 

ここで一つ気になるポイントとして、労働力がある。マーケティングのためだけで、ほとんどの人が使わない機能を開発するためにも労働力が使われている。付加価値の開発やWebページを作ったりマニュアルを作ったり、製造したり、いろいろな労働力が使われる。

 

この労働って本当に社会にとって必要なんだっけ?と思う。エコでもない。もちろん企業にとって利益を出すためなのはわかる。しかし、その労働力は多くの人の生活を便利にする何かに使えたかもしれないなとも思う。

 

家電を例に挙げたが、例えばIT業界の「低位安定」も本質的には同じだろう。

 

そのような延命措置的な労働力の使い方で良いのだろうかと思ったりする。